タイトル  : アルプスを望む家 
建物種類  : 住宅 
所在地  : 長野県北安曇郡 
仕様  : 木造2階建て 
建築規模  : 100.69㎡ 
施工会社  株式会社 矢口工務店
竣工 2010年10月
 

 

 

ある日、若い夫婦が訪ねてきた。

夫婦はまだ20代だったように記憶している。北アルプスが一望できる場所に土地を購入したので住宅の設計をして欲しいと依頼されたが、こちらが思わず唸るほどの低予算だった。そこで、お二人が考えている予算で家を作ることは確かに可能かも知れないが、そのためには建物の意匠性や機能面をかなり犠牲にしなければならないだろう、というようなことを正直にお話した。いずれにしても、こちらが設計に着手できるのは早くても半年後なので、お二人で予算計画をもう一度練り直していただけないかとお願いしてその日の話し合いを終えた。

半年後、また夫婦が訪ねてきた。資金計画を見直し、半年間貯めたお金を予算に加算するので設計をお願いしたいといわれた。若い夫婦にとって決して少なくない額の予算を増やしてまでも私に設計を依頼して下さったのだ。建築家魂に火がついた。この若い夫婦のために最大限の努力をしようと心に決めた。

翌日早速、建設予定敷地へ飛んだ。敷地に立ってみると、夫婦が言っていた通りその敷地からは北アルプスの山々が一望できた。奇をてらうことなく、常念から白馬連山まで見渡せるこの素晴らしい眺望を活かそう。設計の骨格が決まった瞬間だった。

それから何度も何度も敷地に足を運んだり、二人へ新しい家での暮らし方について徹底的に聞き込んだりして、この敷地の特性を頭にたたき込み、施主の要望を自分のものとして置き換えた。これらの作業は私にとっては非常に大切な設計の手順だ。

聞き込みをはじめると、二人の口から何度も「土間」という言葉が出てきた。どうやらここら辺が肝となりそうだ。外から土足のまま入れる土間。その延長としてのテラス。テラスでの食事。趣味のスキーにマウンテンバイク。薪ストーブと自然エネルギー。そして自然素材。これらのキーワードと丁寧に向かい合うことで、薪や太陽熱などの自然エネルギーを利用し、安曇野の美しい自然をフィールドにしたアウトドアライフを満喫している二人の姿が浮かび上がってきた。もちろんアルプスの眺望は外せない。これらのイメージをもとに設計を進めた。

はじめに、厳しい信州の冬をできるだけ快適に、しかも、なるべく少ないエネルギーで過ごすために、太陽からの日射エネルギーを土間に蓄える「ダイレクトゲイン」という考え方を採用した。そして、日射エネルギーが蓄えられた土間により暖められた空気が家の隅々にまで行渡るように、室内の間仕切り壁を可能な限りなくし、家全体を一室空間とした。そこに薪ストーブを併用することで、この家の暖房エネルギーはすべて自然エネルギーで賄うことができるだろうと考えた。

また、夏には1階と2階の窓を開放することで、上下方向に涼しい風が吹き抜けていく。そして、軒から出した長い庇は夏の強い日差しを遮ってくれるので土間はひんやりとして気持ちがいい。庇で遮きれない西日にはすだれやゴーヤのカーテンが有効だ。少しの手間を楽しむことで特別な機械設備に頼り過ぎることなく暮らすことができるということの好例であろう。

敷地からは北アルプスの絶景が一望できる。しかし、それらをすべて取り込むと、日常の生活の場としては落ち着きがなくなってしまうように感じた。そのため、開くところと閉じるところのバランスに気をつけて開口部のスタディーを行った。1階玄関の脇には全面道路からの視線をある程度遮るために壁を設けた。プライバシーを確保しつつも眺望を遮らないように壁の高さを慎重に検討した。逆に2階の寝室では、北アルプスの山々が織り成す絶景を最大限楽しめるよう部屋の隅角部の2方向に開口部を設けた。そして、そこに腰が掛けられるよう窓台の高さを低く抑えた。この窓辺に座りアルプスを眺めながらのむビールは格別だそうだ。

限られた予算ではあったが、可能な限り自然素材を用いる事を心掛けた。木や漆喰といった自然素材は時を経るにつれ味わいが出てくるため、家への愛着が増し、値段に代えられない価値を生み出してくれると考えているからだ。居室の床には杉板を、土間の床にはタイルを張った。壁はコテ跡を残した漆喰塗りとした。外壁には塗料が染み込みやすいよう製材時にできる表面のザラツキをあえて残した杉板を張った。

竣工後はじめての冬、ダイレクトゲインの効果は絶大だった。太陽からの日射エネルギーと薪ストーブの輻射熱をうまく蓄熱している。その効果は翌朝まで続き、寒い夜でも冷え込み過ぎるということがないらしい。これなら厳しい冬も快適に暮らすことができるだろう。また、夏の土間はヒンヤリとしていてとても気持ちがよくクーラーは未だに設置してされてない。

夫婦の入居後、セルフビルドによる庭造りが始まった。毎年少しずつ立派になっていく庭をみていると、この家は今後も変化し続けていくと思う。このことは、それぞれの場面でこの家の設計者としてのアドバイスが求められることを意味している…

この若い夫婦とのうれしいお付き合いは、今後も終わりそうにない。

arai